大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所 昭和48年(ワ)288号 判決

原告

河西雅子

ほか三名

被告

日本通運株式会社

ほか一名

主文

被告等は連帯して、

原告河西雅子に対し金四、三四二、九八八円及びうち金三、九五二、九八八円に対する昭和四八年九月八日から、原告河西淑子に対し金四、一三三、〇九一円及びうち金三、七六三、〇九一円に対する昭和四八年九月八日から、原告河西正広及び同河西幸江に対し各金二、八二一、五一七円及びうち金二、五七一、五一七円に対する昭和四八年九月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告等その余の請求は棄却する。

訴訟費用は被告等の負担とする。

この判決第一項は仮に執行することができる。

但し、被告吉田竹雄が原告河西雅子に対し三九五万円、原告河西淑子に対し三七六万円、原告河西正広及び同幸江に対し各二五〇万円の担保を供したときは右仮執行を審がれることができる。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告等

被告等は各自、原告河西雅子(以下原告雅子という)に対し五、三七三、七四一円及びうち四、八八三、七四一円に対する昭和四八年九月八日から、原告河西淑子(以下原告淑子という)に対し五、二八八、五〇九円及びうち四、八〇八、五〇九円に対する昭和四八年九月八日から、原告河西正広及び同河西幸江(以下原告正広及び原告幸江という)に対し各三、九〇〇、四一九円及びうち三、五四五、四一九円に対する昭和四八年九月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告等の負担とする。

との判決並びに仮執行宣言

二  被告等

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

との判決並びに被告吉田竹雄は担保を条件とする仮執行免脱宣言を求めた。

第二当事者双方の主張とこれに対する答弁

(請求原因)

一  本件事故

日時 昭和四五年八月二九日午前五時三〇分頃

場所 愛知県愛知郡日進町大字米野木地内

東名高速道路下り線三二〇、一キロポスト先路上

甲車 貨物自動車(福島1く4020号)

右運転者 訴外金沢光穂(以下金沢運転手という)

乙車 普通乗用車(静岡5ぬ5002号)

右運転者 亡吉田交義(以下亡吉田という)

被害者 原告雅子、同淑子及び亡河西睦子(以下亡睦子という)

態様 金沢は、甲車を運転して東名高速道路下り線追越車線を西進中タイヤがパンクしたので、その修理のため同車線右側に駐車しタイヤの取替え作業を行なつたが、その際自車の後方約一六Mの道路中央附近にタイヤ一本を置いたため、同車線を進行して来た亡吉田運転の乙車が右タイヤに乗り上げハンドルを取られて甲車に追突し、亡吉田及び乙車に同乗していた内藤昭(助手席)、亡睦子(後部座席中央)が死亡し、原告雅子、同淑子(後部座席左右)が重傷を負つた。

二  責任

1 被告日本通運株式会社(以下被告日本通運という)は、甲車を所有し、自己の為めに運行の用に供していたものである。

2 被告吉田竹雄は、乙車を所有し、自己の為めに運行の用に供していたものである。

三  損害

1 原告雅子

原告雅子は、本件事故により両上肢打撲挫傷・右上腕骨骨折・右肘関節開放性脱臼・右尺骨開放性複雑骨折・左上腕骨骨折、左撓尺骨開放性骨折・右膝下腿打僕挫傷の重傷を負い、事故当日の昭和四五年八月二九日より同年一〇月三一日まで江口外科病院(名古屋市)、同日より昭和四六年八月一一日まで及び同年一一月一八日より昭和四七年三月二四日まで国立名古屋病院に入院し、その間昭和四六年八月二三日より同年一一月一七日まで静岡済生会病院に通院し、又名古屋病院退院後昭和四七年六月七日まで大船共済病院に通院し、治療につとめたが、現在尚両肘関節拘縮(運動障害)、顔面創傷痕等の後遺症(自賠責後遺障害等級表第一一級)を残している。

同原告の損害は次の通りである。

(一) 診療費 一、一四一、〇七三円

江口外科病院五七〇、五八四円、国立名古屋病院五四八、六八二円、静岡済生会病院一六、一六七円、大船共済病院五、六四〇円

(二) 家政婦附添料 五二七、三六三円

入院期間の内昭和四五年八月二九日より昭和四六年六月一日まで家政婦の附添看護を必要とし、その賃金として合計五二七、三六三円を支払つた。

(三) 家族附添料 七〇、二〇〇円

原告雅子は、後記のように数回手術を受け、あるいは血清肝炎等余病を併発したので、そのつど家族が附添看護した。特に昭和四六年一一月二四日より同月三〇日まで、昭和四七年一月一三日より同月二四日まで、及び同月二七日より二月五日までの延べ二九日間は昼夜家族が附添看護をした。その損害は一日につき一、二〇〇円を下らない。又右附添家族の食事、寝具料として江口外科病院に三五、四〇〇円を支払つた。

(四) 入院中雑費 二三八、五〇〇円

入院期間通算四七七日間に一日少くとも五〇〇円の諸雑費を必要とした。

(五) 通院交通費 一一、八二〇円

静岡済生会病院通院の為め交通費として一一、八二〇円を必要とした。

(六) 学校授業料の損失 一四二、七〇〇円

原告雅子は、事故当時京浜女子大学の児童学科三年に在学していたが、事故により二年間休学し、学則にしたがいその間の授業料一四二、七〇〇円を支払つた。

(七) 下宿荷物運送料等 三六、〇〇〇円

同原告は通学の為め横浜市戸塚区公田町七〇九番地の三池田淳正方に下宿していたが、昭和四五年一〇月三〇日右下宿を一旦引き払うため一五、〇〇〇円、及び昭和四七年四月一一日再び下宿に戻るため一二、〇〇〇円の荷物運送料を支出し、又昭和四五年一〇月三〇日同年九、一〇月分の下宿代として九、〇〇〇円を右下宿先に支払つた。

(八) 治療期間中慰藉料 一、五〇〇、〇〇〇円

同原告は、本件事故当時二〇才、未婚の女子であるが、本件事故により瀕死の重傷を負い、通算四七七日の入院、六ケ月に及ぶ通院治療を受け、その間江口外科病院に於て右前頭部(約五センチ)、左右両腕各二個所、左口唇わき(約一・八センチ)の縫合等、ついで国立名古屋病院に於て左腕二個所の再手術(骨に釘を入れかえ固定し二ケ月余ギブスをはめた)、二度の骨移殖術(腰骨を切取つて腕の骨に移殖した)、左右両腕に挿入した針の抜釘術、肘の授動術等塁次にわたる手術、両腕骨髄炎、血清肝炎等の併発に苦しめられ、学業のおくれに対する焦慮、将来に対する不安等もかさなり、その治療期間中言語に尽せぬ精神的肉体的苦痛を蒙つたもので、これを慰藉すべき額は少くとも一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(九) 逸失利益 三、一一六、〇八五円

(1) 原告雅子は、卒業後は職業につくため前記大学にて勉学しているものであり、昭和四七年四月には、同大学を卒業して職業に従事出来たはずの所、本件事故により二年間これがおくれた。

(2) 又同原告の就労可能年限は、昭和四九年四月より少くとも三五年以上であるが、前記後遺障害の為め、労働能力は当初一五年間は二〇%、その後の二〇年間は一〇%以上低下するものと見られる。

(3) 女子労働者(新高卒以上)の年間平均給与額は六三七、八〇〇円、うち二〇才乃至二四才では六一九、〇〇〇円である(昭和四六年賃金センサスによる)。

(4) 右(1)による逸失利益は、

619,100×(1+0.9523)=1,208,668

右(2)による逸失利益は、

637,800×{20/100(11.5363-0.9523)+10/100(20.2745-11.5363)}=1,907,417

以上合計は、三、一一六、〇八五円である。

なお、原告雅子は昭和五〇年四月蒲原西小学校に正教諭として採用され現に勤務しているが、前記逸失利益はその後も生じている。

(十) 後遺症慰藉料 二、〇〇〇、〇〇〇円

前記後遺障害に対する慰藉料は、最低限二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

(十一) 弁護士費用 四九〇、〇〇〇円

原告らは、被告らが示談に誠意を示さないので、静岡県弁護士会所属弁護士である原告訴訟代理人に訴訟委任し、手数料として八四〇、〇〇〇円を支払い、一審判決日には一審勝訴額を基準にして一割をくだらない額を支払うことを約した。したがつて、被告らに賠償請求し得べき弁護士費用は総額一、六八〇、〇〇〇円をくだらないが、このうち原告雅子の負担分(按分による)は四九〇、〇〇〇円である。

2 原告淑子

原告淑子は、本件事故により脳挫傷・下顎骨骨折・歯牙脱臼・右手関節脱臼骨折・右手伸筋腱断裂・右肘関節拘縮の重傷を負い、事故当日の昭和四五年八月二九日より同年九月八日まで水谷外科(名古屋市)、同日より昭和四六年三月一五日まで国立名古屋病院に入院し、退院後も同年六月二二日まで清水市立清水総合病院に通院し、尚その間同年三月一〇日より二〇日まで平田歯科医院(由比町)、昭和四七年三月一八日より同年六月二二日まで清水市立清水総合病院に各通院し、治療につとめたが、現在尚右手関節用廃、下顎部保条瘢痕等の後遺症(自賠責後遺障害等級表第七級)を残している。

同原告の損害は次の通りである。

(一) 診療費 七八四、二四九円

水谷外科三二一、六五二円、国立名古屋病院二七七、九八五円、平田歯科一六八、〇〇〇円、清水市立清水総合病院一六、六一二円

(二) 家政婦附添料 九三、二五二円

入院期間のうち、(イ)昭和四五年八月二九日より九月七日までの間家政婦二名(うち一名は八月三一日より)の附添看護を必要とし、その賃金として合計五一、七五二円を支払い、(ロ)同年一二月二三日より昭和四六年三月一五日までの間附添看護を必要としたので、原告雅子に附添つた家政婦に一日五〇〇円を加算して原告淑子の附添も兼ねてもらい、その分として四一、五〇〇円を支払つた。

(三) 家族附添料 一五三、一〇〇円

原告淑子も当初極めて重篤な症状を呈していたため、昭和四五年八月二九日より同年一二月二三日までの間は家政婦の他常時家族の附添を必要とした。その損害は一日一、二〇〇円として合計一四〇、四〇〇円を下らない。又右附添家族の食事、寝具代として水谷外科に一二、七〇〇円を支払つた。

(四) 入院中雑費 一〇〇、〇〇〇円

入院期間通算二〇〇日間に一日少くとも五〇〇円の諸雑費を必要とした。

(五) 治療期間中慰藉料 一、三〇〇、〇〇〇円

同原告は昭和二九年四月二四日生、本件事故当時一六才のうら若き乙女であつたが、本件事故により瀕死の重傷を負つて一〇日間余生死の境を彷徨し、以後通算二〇〇日の入院、一〇七日に及ぶ通院治療を受け、その間下顎骨折による食物洛取不能、下顎骨手術、右手関節固定術、外歯手術等々塁次にわたる手術等の為め筆舌に尽せぬ精神的肉体的苦痛を蒙つたもので、これを慰謝すべき額は少くとも一、三〇〇、〇〇〇円が相当である。

(六) 逸失利益 五、九〇七、九〇八円

(1) 同原告は、本件事故当時静岡県立清水西高等学校一年在学中であり、同校卒業後の昭和四八年四月より就職するはずの所、本件事故により一年留年したため、卒業、就職も一年おくれることとなつた。

(2) 同原告の就労可能年限は、昭和四九年四月より少くとも三五年以上であるが、前記後遺障害の為め、労働能力は当初一五年間は五六%、その後二〇年間は三〇%以上低下するものと考えられる。

(3) 女子労働者(新高卒業以上)の年間給与額は前記の通りでうち一八、一九才では四七八、五〇〇円である。

(4) 右(1)による逸失利益は、

478,500×0.9523=455,675

右(2)による逸失利益は、

637,800×{56/100(11.5363-0.9523)+30/100(20.2745-11.5363)}=5,452,233

(七) 後遺症慰藉料 二、〇〇〇、〇〇〇円

前記後遺障害に対する慰藉料は、最低限二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

(八) 弁護士費用 四八〇、〇〇〇円

前記弁護士費用総額のうち、原告淑子の負担分は四八〇、〇〇〇円である。

3 原告河西正広、同河西幸江

(一) 亡睦子関係

(1) 逸失利益 五、九八三、八三九円

(イ) 河西睦子は、昭和三一年八月二三日生、当時中学二年生であり、高校卒業後の昭和五〇年四月より就職するはずであつた。

(ロ) 同女の就労可能年限は、昭和五〇年四月より少くとも三五年間以上である。

(ハ) 女子労働者(新高卒以上)の年間平均賃金は、六三七、八〇〇円である。

(ニ) したがつて、同女の死亡による逸失利益(生活費五〇%控除)は、

637,800×50/100×(20.6254-1.8614)=5,983,839

(ホ) 同女には配偶者、直系卑属がいないので、右損害に対する賠償請求権は父母である原告正広、同幸江が法定相続分各二分の一の割合で相続した。

(2) 本人の慰藉料 一、〇〇〇、〇〇〇円

(イ) 亡睦子は、本件事故により一四才の誕生日を目前にしてむごたらしい死を遂げたもので、これに対する慰藉料はいかに少くとも一、〇〇〇、〇〇〇円以上でなければならない。

(ロ) 右損害賠償請求権も原告正広、同幸江が各二分の一の割合で相続した。

(3) 遺体処置料、運搬費 四七、五二〇円

(4) 葬儀費 三〇〇、〇〇〇円

右(3)(4)は原告正広、同幸江が共同で負担した。

(5) 原告らの慰藉料 四、〇〇〇、〇〇〇円

同女は、原告正広、同幸江の末娘としていつくしみ育てられていたもので、同女の死により両親である同原告らが蒙つた精神的苦痛は甚大であり、これに対する慰藉料は各二、〇〇〇、〇〇〇円(合計四、〇〇〇、〇〇〇円)が相当である。

(二) 原告雅子、同淑子関係―両親の慰藉料 一、〇〇〇、〇〇〇円

原告正広、同幸江は、被害者である原告雅子、同淑子の父母として、本件事故により極めて深刻な衝撃を受け、右被害者らが生死の境にあつた間をはじめ、その後長期にわたる入、通院とその間繰返し行われた難手術、余病併発等のたびに身を削られるような思いで付添介護につとめ、心身ともに筆舌に尽しがたい労苦をなめ、さらに右被害者らの後遺症状がそれぞれの健康、縁談等に与える影響の小さからざることを憂慮し心を痛めているもので、その精神的苦痛は被害者が生命を害された場合に比しても著しく劣るものではなく、これに対する慰藉料は少くとも各五〇〇、〇〇〇円(合計一、〇〇〇、〇〇〇円)が相当である。

(三) 弁護士費用 七一〇、〇〇〇円

前記弁護士費用総額のうち原告正広、同幸江の負担分は七一〇、〇〇〇円である。

(四) 一部填補

自賠責保険より、原告雅子につき二、五〇〇、〇〇〇円、同淑子につき五、一八〇、〇〇〇円、亡睦子関係につき五、二四〇、五二〇円の各支払を受けた。

四  結語

以上により、被告らは共同不法行為により原告らに与えた損害の賠償として、各自(イ)原告雅子に対し、五、三七三、七四一円及び弁護士費用を除く四、八八三、七四一円につき本訴状送達の翌日である昭和四八年九月八日より支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、(ロ)原告淑子に対し、五、二八八、五〇九円及び弁護士費用を除く四、八〇八、五〇九円につき前同様の遅延損害金、(ハ)原告正広、同幸江に対し、それぞれ三、九〇〇、四一九円及び弁護士費用を除く三、五四五、四一九円につき前同様の遅延損害金を支払う義務がある。

(請求原因に対する被告等の答弁並びに主張)

一  被告日本通運

1 答弁

請求原因第一項は事故の態様を除きその余を認める。

同第二項1のうち被告日本通運が甲車を所有していたことは認めるも、本件事故当時これを運行の用に供していたことは否認する。同項の2は不知。

同第三項1の原告雅子の損害中、

冒頭の、その傷害が重傷であつた、との点は否認し、その余の点は、認める。自賠責後遺障害の査定が一一級となつたのは、右原告の各後遺障害が、何れも一二級六号に該当したため、合併されて一一級に認定されたにすぎない。

(一) 診療費、一、一四一、〇七三円は、認める。

(二) 家政婦附添料、五二七、三六三円は、認める。

(三) 家族附添料は、否認する。

家政婦附添のほか家族の附添の必要性がないから、仮りに家族が附添つたとしても相当因果関係にない。入院は完全看護体制である。

(四) 入院中雑費は、入院一日二〇〇円合計九五、四〇〇円の限度で認める。

(五) 通院交通費は、否認する。

(六) 学校授業料の損失は、九九、〇〇〇円の限度で認める。

〔証拠略〕によれば、昭和四五年四月四日に前期分として四三、七〇〇円が、京浜女子大学宛振込まれているが、事故は、昭和四五年八月二九日であり前期分の納入は、本件事故と相当因果関係にない。

(七) 下宿荷物運送料等は、二四、〇〇〇円の限度で認める。

〔証拠略〕によれば、昭和四七年四月一二日に運賃として一二、〇〇〇円支払つているが、約一年半の休学の後下宿に移転するまでの運賃については、本件事故と相当因果関係にない。

(八) 治療期間中の慰藉料は、八〇〇、〇〇〇円の限度で認める。近時慰藉料額は、その苦痛を斟酌すべき確固たる基準がないので、入通院期間を基準とし、定額化されている。傷害の結果も原告の主張するように重傷でなく、後遺障害一二級六号程度の合併であり、入院期間四七六日、通院期間約一〇ケ月中実通院日数七五日であるから、八〇〇、〇〇〇円が相当の慰藉料というべきである。

(九) 逸失利益は否認する。

(1)は認める。

(2)ないし(4)は、否認する。

原告雅子の後遺障害は、両肘関節の機能障害であるが、人間は、社会的適応性、順応性をもつており、障害があつてもこれを自然に克服し得るものである。従つて、仮りに一二級六号の後遺障害であつても、肘関節障害であるから、これが就労可能年数継続して労働能力喪失があるとみるのは妥当でない。障害の部位、程度により、労働能力喪失期間を合理的に判断すべきである。

原告の後遺障害の部位、程度から、社会的順応性による回復までの期間は、三年とみるのが妥当である。

(十) 後遺症慰藉料は六〇〇、〇〇〇円の限度で認める。

(十一) 弁護士費用は、否認する。

第三項2の原告淑子の損害中、

2の冒頭の主張は認める。右原告の自賠責後遺障害の査定が七級となつたのは、右手関節背屈が一〇度で用廃とされ、これが八級六号、下顎部に三センチの線条瘢痕が残存し、これが一二級一四号に各該当し、合併されて七級と認定されたのである。

(一) 診療費七八四、二四九円は認める。

但し、国立名古屋病院の診療費は、二七二、三八〇円であり、愛知学院大学付属病院の治療費が、五、六〇五円である。

(二) 家政婦附添料は、

(イ)のうち二八、六二〇円の限度で認め、

(ロ)の四一、五〇〇円は認める。

(三) 家族附添料は否認する。

原告雅子につき反論したと同様の理由である。

(四) 入院中雑費は、入院一日二〇〇円、合計四万円の限度で認める。

(五) 治療期間中の慰藉料は、八〇万円の限度で認める。

原告淑子の入院期間は一九九日、通院期間約一年のうち実通院日数は一一六日であるから、八〇万円が相当である。

(六) 逸失利益は、否認する。

(1)は認める。

(2)ないし(4)は、否認する。

原告の労働能力喪失に影響のある傷害の部位、程度は、右手関節背屈による用廃だけで、下顎の線条痕は機能上関係ない。そこで労働能力の喪失率を考えるに際しては、八級による四五パーセント低下を考慮すれば足りる。

又その喪失期間については、五年ないし七年とすれば充分である。

(七) 後遺障害慰藉料一六五万円の限度で認める。

(八) 弁護士費用は否認する。

第三項3の原告正広及び同幸江の損害中

(一) 亡河西睦子関係の

(1) 逸失利益は否認する。

(イ)(ロ)は認める。

(ハ)は、女子労働者の年間平均賃金が、主張の額であることは認めるが、逸失利益の算定にあたつては、控え目な計算方法をとることが加害者、被害者にとつて公平であり、初任給をもつて計算の基礎とすべきである。

(ニ)は、生活費を五〇パーセント控除する点は認めるが、額は否認する。又中間利息控除による現価を求めるには、年毎式ライプニツツ法によるべきである。

(ホ)は認める。

(2) 本人の慰藉料は否認する。後述する。

(3) 遺体処置料、運搬費は否認する。

尚死亡するに至るまでの診療費は、一〇、五二〇円であつた。

(4) 葬儀費は、二〇万円の限度で認める。

(5) 原告らの慰藉料は、前記(2)の本人の慰藉料も含め、合計三〇〇万円の限度で認める。

本人の慰藉料請求が認められるか否かは、最高裁の判例がこれを是認しているが、何れにしろ一死亡事故につき、総額として慰藉料は定額化されているのが、近時の裁判例である。

そして、一家の大黒柱がなくなつたというような場合には一死亡事故につき、最高の四〇〇万円、未成年者あるいは老人の如き者がなくなつた場合は、三〇〇万円が相当とされている。

(二) 河西雅子、同淑子関係―両親の慰藉料は、否認する。

民法七一一条による近身者の慰藉料請求権は、被害者が第三者の不法行為によつて身体を害されたために、被害者が生命を害された場合も比肩すべき、又は右場合に比して著るしく劣らない程度の精神上の苦痛をうけた時に限り、両親は自己の権利として請求出来ると最高裁の判例がくりかえし判断している。

本件の場合これに全くあたらない場合である事は明らかであつて、右原告ら両名の請求は失当である。

(三) 弁護士費用は否認する。

(四) 一部填補額は認める。

第五項の主張は争う。

2 主張

(一) 被告日本通運は本件事故当時は甲車を運行していなかつた。即ち、甲車は本件事故当時タイヤのバース(破裂)のため停車しており他の場所に移動させることは殆んど不可能な状態にあつたから「運行」中には当らない。

即ち金沢運転手は昭和四五年八月二八日午後五時頃甲車にジヤガイモ六〇五袋約一一屯を積載し、小高町金房農協を出発し、名古屋に向い、途中運転を訴外玉置幸次(以下玉置運転手という)と交替しながら翌二九日午前四時五五分頃東名高速道路下り線の走行車線三一九・九キロポスト付近を時速八〇キロ位で走行中突然甲車の右前輪がドカーンという破裂音と共にバースし、ハンドルが急に右にとられ、追越車線に入つてしまつた。このような場合急ブレーキをかけると積載量の多いトラツクは車体が右傾斜し、ハンドルが右にとられ横転する危険があるので、金沢運転手は徐々にブレーキをかけハンドルを極力左に切り左側の路方に車両を導びこうとしたが、前記バースのためハンドルが右にとられ、甲車は約八二メートル右斜めに走行し、中央分離帯縁石に自車右前輪を擦過させながら三七・二メートル進行した後追越車線に故障停止した。

事故現場は東名高速道路名古屋インターチエンジ東方約四・九キロの地点、即ち、東京より三二〇・一キロポストより西方一八・三メートル地点の追越車線上で道路状況は、コンクリート舗装で、路面は平坦乾燥しており、中央分離帯幅員は五メートル、追越車線、走行車線とも幅員三・六メートルであり、路肩幅員は三メートルである。これより東方約二二〇メートル先から半径一、五〇〇メートルの右カーブになつているので、その間約二三〇メートルは、見透しがよく、当日の日の出は午前五時二三分で晴天であつたから、後続車は甲車が右地点に故障停車していることを少くとも二三〇メートル手前で発見することができ、これを容易に避けることができるのであるが、金沢、玉置両運転手は、甲車を他の車両の通行の妨げにならぬ路肩へ移動させるため左折合図の方向器点滅スイツチをいれて甲車を下車し、具備しているジヤツキで車体前部を持ち上げバースしたタイヤを取替えようとしたが、車体前部が下にめりこんで、アクスルにジヤツキがかからないためタイヤの取替えが不能であつた。

そこで金沢運転手は停止地点西方三〇〇メートルの路肩上にある緊急電話で一の宮インターサービスに事故の内容、場所等を知らせ、直ちに修理に来るよう依頼したが、同インターサービスの修理車が別のパンク修理に出向いており本件事故現場には約四〇分後でしか到着できないのでその間出来る限りの修理をしてほしいとの返事があつた。一方玉置運転手は金沢運転手が電話連絡に行つている間に後続車の安全確保のため甲車の後部に後方約三〇〇ないし四〇〇メートルから明瞭に判別出来る赤色点滅電燈を取付け、更に念のためその後方約一五メートルの追越車線上にスペアタイヤを置きその上に同じく後方三〇〇ないし四〇〇メートルから判別出来る黄色の電灯を置いた(道交法七五条の一一及び道路運送車両の保安基準四二条参照)。

乙車は甲車が故障のため停車して約三五分後の同日午前五時三〇分頃甲車が停車している追越車線を高速度で進行して来てそのまゝのスピードで甲車の後部に追突した。

ところで車両の「運行」とは、「自動車を当該装置の用い方に従い用いる」ことをいうが、その解釈につき最高裁判所昭和四三年一〇月八日判決は「右にいう運行の定義として定められた当該装置とは、エンジン装置、即ち原動機装置に重点をおくものであるが、必ずしも右装置のみ限定する趣旨ではなく、ハンドル装置、ブレーキ装置などの走行装置もこれに含まれると解すべきであり、従つて本件の如くエンジンの故障によりロープで他の自動車に牽引されて走行している自動車も当該自動車のハンドル操作により、或いはフツトブレーキまたはハンドルブレーキ操作によりその操縦の自由を有するときに、これらの装置を操作しながら走行している場合には、右故障自動車自体を当該装置の用い方に従い用いた場合にあたり、右自動車の走行は、右法条にいう運行にあたると解すべきである。」としている。

そこには動態概念を中心におき、走行装置により操縦の自由を有するときに「運行」があるものとしている。

ところが本件の場合甲車がバースして一旦停車した後はエンジン作動によつてもその他のハンドル操作によつても、左路肩等への場所的移動は不可能であり、修理を待つ以外に走行の自由はなかつたのであり、且つ、時間的には故障停車後三五分して本件事故が起つたのであるから、本件事故時甲車は自賠法三条にいう「運行」中になかつたものというべきである。

(二) 仮り甲車が運行中であつたとしてもその運転手である金沢及び玉置には何等過失がなく、本件事故は乙車を運転していた亡吉田の一方的過失により発生したのであるから被告日本通運は自賠法三条但書の免責を主張する。

甲車のタイヤがバースしてから停車するまでの金沢運転手の運転、停車した後の金沢運転手のインターサービスへの電話連絡、玉置運転手と共にした故障車両への応急修理措置等に過失がないことは既に述べたとおりである。又車両が高速度で高速道路を走行中突然タイヤがバースすることは新車の場合でもありうることで、バース自体は不可抗力であるから、これをもつて甲車が整備不良車であるとか、甲車の走行方法が不適切であつたとかいうことはできない。

そこで次に後続車に対する追突危険防止のための措置が適切であつたかどうかにつき検討する。

前記のとおり本件事故当日は晴天で日の出が午前五時二三分であり、事故時は午前五時三〇分であつたから、後続運転者は前照灯を点灯しなくても見透しがよければ五〇〇メートル前方が見えたはずである。従つて乙車の運転者である亡吉田はカーブを曲れば前方二三〇メートル先の追越車線上に後部に赤色点滅電燈を、又その一五メートル後方のスペアタイヤ上の黄色電灯を発見し得たはずである。そして制限時速の一〇〇キロで走行していれば、スペアタイヤまでの約二一五メートル進行するのに約七・四秒要することは計数上明らかであるから、亡吉田が前記赤色点滅電燈又は黄色電燈を発見しスピードをおとせば走行中の追越車線から走行車線上に移動し得、甲車を充分避け得たはずである。このことは甲車が追越車線に停止後本件追突事故発生時までの約三五分間に右車線を走行して来た数十台の車両が何等甲車に追突することなく、安全に通過しているところから見ても明らかである。しかるに亡吉田は走行車線上の車両を追越す必要もないのに追越車線を走行し(道交法七五条の四参照)、そのまゝスピードをゆるめることなく真直ぐ甲車に追突したのである。このことは亡吉田が前方をまつたく注視せず、乙車を運転したことを裏付けるものである。もつとも追突危険防止のためには故障車両の後方一〇〇メートル位の地点で、赤若しくは黄色の電灯を振つて後続車を誘導することも考えられるが、本件事故現場付近は前記のとおりカーブを曲つて甲車の停止地点まで約二三〇メートルしかなく後方一〇〇メートル位の地点で金沢或は玉置運転手が危険信号燈を振つて後続車を誘導しようとすれば、後続車がカーブを曲つて右危険信号燈を発見し、ブレーキをかける前に誘導者をはねとばす危険性があり、このような方法をとることは困難である。

そして自動車の運転に従事する者としては、後続車の運転者も、道路交通法その他の法規に従つて運転するであろうことを期待することができ、前記のとおり後続車の運転手が前方をよく注視していれば甲車も、危険信号燈も後方二三〇メートルで発見することができ、充分甲車との追突を避け得たのであるから、双方の安全性を考えれば、玉置及び金沢運転手のとつた措置は後続車に対する追突危険防止措置として充分であり、何等過失はなかつたというべきである。

そして甲車にはタイヤのバースによる故障はあつたが、その他の構造上、機能上の欠陥はないから被告日本通運は自賠法三条但書により免責されるものである。

(三) 好意同乗による過失相殺の主張

原告雅子(当時二〇才)、同淑子(当時一七才)及び亡睦子(当時一四才)は姉妹であるが、他数名と当時開催中であつた大阪府茨木における万国博覧会見物のため、昭和四五年八月二九日午前三時頃被告吉田竹雄の息子亡吉田の運転する乙車に無償で好意同乗し、同日午前三時半頃清水インターチエンジから東名高速道路に入り、西進し途中浜名湖サービスエリアで約一五分休憩した後発進し、本件事故に遭遇した。

従つて被告吉田竹雄は原告等の請求に対し好意同乗による過失相殺の抗弁を主張し得るので、被告日本通運も右主張をする。

二  被告吉田竹雄

1 答弁

請求原因第一項は事故の態様を除きその余を認める。

同第二項2は認める。

同第三項1のうち原告雅子が本件事故当時京浜女子大学三年に在学中であつたこと、昭和五〇年四月蒲原西小学校に正教諭として採用され現在勤務していることは認めるも、その余は全て不知、同項2のうち原告淑子が県立清水西高一年在学中であつたことは認めるも、その余はすべて不知、同項3のうち亡睦子が原告正広及び同幸江の娘であつたこと及び(四)の損害の一部填補の事実は認めるがその余はすべて知らない。

2 主張

(一) 被告日本通運は本件事故は甲車の運行中に発生したものではない旨主張するが、「運行」とは自動車が「格納から格納」「車庫から車庫」までの場所的移動中をいい自賠法三条はそれを契機として、他人の生命身体を害した場合を広く含む概念であるから、被告日本通運主張の事実を前提としても、本件事故は甲車の「運行中」に発生したものというべきである。

(二) 金沢及び玉置運転手の過失について

タイヤのバースはタイヤが古いとか傷があるとか、空気圧が適正でない場合生じやすく、それが積載量の多い場合及び高速で長時間連続運転する条件が重なると生じやすい状態になることは経験上明らかであるから、甲車のタイヤが走行中突然バースしたということは金沢及び玉置運転手の甲車に対する点検不備か、走行方法の不適切を推定せしめるものである。

ところで被告日本通運は亡吉田が前方注視義務を尽していれば甲車を避け得た旨主張するが、高速道路を運転している者は、その路上に何等障害物(特に停止物)がないという前提で運転しているから、何らかの物体があつてもそれが自車と同一方向に同一速度で進行していると感じやすいものである。

従つて高速道路上に停止物を置く場合にはよほどはなれた場所に運転手の注意を提起するに足る動くもの、鮮明なものを置き、前方進路上に障害物があることを知らせる必要がある。そこで高速道路において道路工事する場合には、道路公団ではすくなくとも数百メートル先において次第に片側車線に車両を集めるための大きな赤い矢印及び動く人形による指示をして運転手に対し注意を喚起する等の措置をとつているのが一般である。(逆にいうとかゝる方法をとらないと道路の管理として瑕疵があるということになろう。)

本件事故当時は日の出直後であり見透しが悪かつたのであるから、金沢及び玉置運転手としては特に後続車の追突を防止するため、甲車の停止位置から百メートル以上後方で前方に甲車が故障停車していることを後続車に知らせる方法をとるべきであるのにそのような措置を講じなかつたのであるから本件事故は亡吉田と右金沢及び玉置運転手の過失の競合により発生したものというべきである。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  本件事故

次の事実は当事者間に争いがない。

事故発生日時 昭和四五年八月二九日午前五時三〇分

場所 愛知県愛知郡日進町大字米野木地内

東名高速道路下り線三二〇・一キロポスト先路上

事故車甲車 貨物自動車(福島1く4020号)

右運転者 金沢運転手

事故車乙車 普通乗用自動車(静岡5ぬ5002号)

右運転者 亡吉田

被害者 原告雅子、同淑子及び亡睦子

右事実に〔証拠略〕を総合すると次の事実が認められる。

事故現場は東名高速道路名古屋インターチエンジ東方約四・九キロ、東京より三二〇・一キロポストより西方約一八・三メートルの地点の下り追越車線上で、道路状況はコンクリート舗装で、路面は平坦乾燥しており、中央分離帯幅員は五メートル、追越車線、走行車線とも幅員三・六メートルであり、路肩幅員は三メートルである。事故現場より東方約二二〇メートル先から半径一、五〇〇メートルの右カーブになつているので、その間約二二〇メートルには東から西への見透しがよい。事故当日の日の出は午前五時二三分頃で曇天ではあつたが、本件事故の発生した五時三〇分頃には明るくなつており、事故現場付近を走行する車両は燈火をつけなくても前方三、四〇〇メートルを見透せる状況であつた。

金沢及び玉置運転手はいずれも被告日本通運原町営業所に勤務する運転手であるが、一一屯の大型貨物自動車である甲車を二人で運転し小高町金房農協からジヤガイモ六〇五袋一屯を名古屋に運送することを命ぜられ、同支店の長距離輸送運行指示書に基き昭和四五年八月二八日午前五時頃甲車に右ジヤガイモを積載して金房農協を出発し、途中両運転手は運転を交互に交替し、金沢運転手は翌二九日午前四時五五分頃本件事故現場付近の東名高速道路下り線の走行車線を時速約八〇キロで走行中、突然甲車の右前輪がドカーンという破裂音と共に破裂し、ハンドルが急に右にとられた。そこで金沢運転手はハンドルを戻そうとして体重をハンドルにのせて両腕でしがみつきそれ以上ハンドルが右にとられないようにし、急ブレーキをかけるとトラツクの車体が右傾斜し横転するおそれがあるので、徐々にブレーキをかけ、甲車が約八二メートル右斜めに走行し、追越車線に入り中央分離帯縁石に右前輪が接触した後はブレーキを踏まず、惰性で甲車を走らせ自然に停止するのを待つたところ、甲車は右前輪を右縁石に擦過させながら約三七・二メートル進行した後右縁石側の追越車線上に停止した。停止後金沢運転手は甲車の左折合図の方向点滅スイツチを入れ甲車を下車し、破裂した右前輪を取り替えるべく備付のジヤツキをもつて車台下にもぐりこみ、ジヤツキをかけようとしたが、甲車のアクスルが地上約一〇センチまで下り、ジヤツキがかからなかつた。そこで金沢運転手は停止地点西方約三〇〇メートルの路肩上にある緊急電話で一の宮インターサービスに事故の内容、場所等を知らせ、直ちに修理に来るよう依頼したが、同インターサービスの修理車が別のパンク修理に出向いており本件事故現場には約四〇分後でしか到着できないのでその間出来る限りの修理をしてほしいとの返事があつた。玉置運転手は甲車のタイヤが破裂した当時同車内の仮設ベツトで仮眠していたが、破裂の音で目をさまし、金沢運転手が電話連絡に行つている間に後続車に故障車の停車を知らせるため甲車のテールランプ附近に赤色点滅燈を取付け、更にスペアタイヤ(以下本件タイヤという)を取出し甲車の後方約一三・九メートル附近にこれを置いた。その後金沢、玉置両運転手は甲車体の下にもぐりこみジヤツキを掛ける場所を捜したが、前記のとおり甲車前部が極度に下つておりジヤツキの最も低い位置でも地上二五センチの高さにあるので、ジヤツキを掛けることが不可能であることが判明した。そこで両運転手はインターサービスの修理車が到着するまで待つ他はないと観念し、それまでの間の後続車の安全をはかるため、甲車の相当後方に行き後続車に故障車の存在を知らせようと考え中央分離帯に上つたところ、同日午前五時三〇分頃時速約一〇〇キロのスピードで追越車線を走行して来た乙車が本件タイヤに乗り上げ、その衝激でそのまゝ甲車の後部両車輪の間に飛びこみ激突した。

一方乙車を運転していた亡吉田は万国博覧会見物のため乙車の助手席に友人の内藤昭、後部座席の中央に友人の原告雅子右側にその妹原告淑子、左側にその妹亡睦子を同乗させ、同日午前三時半頃清水インターチエンジから東名高速道路に入り、西進し時速約一〇〇キロで同日午前五時三〇分頃本件事故現場付近に差しかかつたが、走行中の追越車線上には前方に外車が一台走行していたので前方の見透しが悪く、甲車の後方約一三・九メートルの地点に本件タイヤが置かれていることに気付かなかつたところ、乙車と右外車の車間距離が相当ちじまつてから前方の外車が右タイヤに気付いたのか突然進路を走行車線にかえたので、乙車は本件タイヤを避ける間もなくこれに乗り上げその衝激で停車中の甲車の後部車輪の間に入りこむ形で激突し、運転者の亡吉田及び助手席に乗車していた内藤昭、後部座席右側に座つていた亡睦子はそのため同日死亡し、後部座席中央及び左側に座つていた原告雅子及び淑子は後記のような重傷を負つた。

以上認定事実に反する〔証拠略〕は前掲各証拠に照して採用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

証人佐々木幸次に本件タイヤの西寄りに北西の方向に向けて黄色の懐中電燈をおいたが本件追突事故後右懐中電燈は移動したタイヤの近くにおちていた旨証言し、証人金沢光穂及び佐々木幸次はその証人尋問において示された懐中電燈(乙第二四号証に写つている懐中電燈)が右黄色の懐中電燈そのものである旨証言しているが、当裁判所が該懐中電燈を検証すると全く無きずであり、時速約一〇〇キロの普通乗用車で跳ね飛ばされた痕跡が全く見あたらないので〔証拠略〕は採用できない。

以上認定事実によると本件事故発生当時は日の出後数分経過しているので事故現場附近を走行する車両は燈火をつけなくても衝突地点の約二二〇メートル後方から前方の追越車線上に甲車が停止していることを認めることができ、且つ、前記のとおり甲車のテールランプ附近に赤色点滅電燈が取り付けられているのであるから、前方をよく注視していれば甲車が故障車であることを容易に発見でき、本件タイヤに乗上る前に追越車線から走向車線に進路を変更し、衝突をさけ得たはずである。しかしながら一方高速道路において高速で車両を運転している者は一般に追越車線上に停車している車両はないという前提で運転しているから、たまたま故障車両が停車していても、それが自車と同一方向に進行しているものと錯覚しやすいものである。そしてその車両が時速一〇〇キロの高速で運転されていれば右アスフアルト舗装で路面が平坦、乾燥している場合でも停止距離は約七、八〇米であり、毎秒二七・七八メートルの速度で進行するのであるから、一寸の見落しが重大な追突事故を招く虞れのあることは経験則上明らかである。従つて故障のためやむなく追越車線上に車両を停止させた者は、当該自動車が故障のため停止しているものであることを明瞭に表示すると共に後続車両にそのことを一刻も早く知らせ保険発生を未然に防止すべき義務がある。特に本件の場合午前五時三〇分という早朝で車両の交通も日中のそれより頻繁でないから車両の運転者は路上が閑散なことに気を許し、前方注視義務を怠り高速度で追越車線を運転することも予想されるから、甲車の運転手である金沢及び玉置は、前記停止距離より見て少くとも甲車の停止位置から後方(東方)約一〇〇メートルの地点で懐中電燈又は布等を振つて追越車線を走行して来る車両に対し前方に甲車が故障停止していることを知らせる義務があつたものというべきである(被告日本通運は甲車の後方一〇〇メートル位の地点で金沢或は玉置運転手が危険信号燈を振つて後続車を誘導しようとすれば、後続車に跳ねとばされる虞れがある旨主張するが、そのような危険があれば路上でなく中央分離帯の上で後続車に危険を知らせる方法もあるのであるから同被告の右主張は採用できない)。ところが玉置運転手は甲車の後方約一三・九メートルの路上に後続車両からは見にくい本件タイヤを置き、金沢運転手と共に後続車両に対する十分な安全指示をしなかつたため本件事故が発生したものといわなければならない。

一方亡吉田は〔証拠略〕によれば走行車線に追越すべき車両もなかつたことが認められるのに前記外車に追従して追越車線を走行し、先行車との車間距離を十分にとらなかつたため、前方に停止している甲車及びその後の本件タイヤの発見が遅れ、皮肉にも玉置運転手が後続車両の安全確保のためおいておいた本件タイヤに乗り上げ甲車に追突するに到つたことが認められるので、亡吉田にも通行区分、車間距離、前方注視義務違反の過失があつたものとするのが相当であつて、本件事故は甲車の運転手である金沢及び玉置運転手の前記後続車両への安全指示義務違反と亡吉田の前記過失が競合して発生したものといわなければならない。

二  被告等の帰責事由

1  被告日本通運

同被告会社が甲車を所有していることは争いがない。同被告会社は本件事故当時甲車はエンジン作動によつてもその他のハンドル操作によつても場所的移転は不可能であり、修理を待つ以外に走行の自由はなく、且つ故障停車後三五分を経過しているから自賠法三条にいう「運行」中になかつた旨主張するが、「運行」とは必ずしも原動機による移転、或はそれによる移転可能の場合に限られず、たとえば故障のため一時停車中であつてもそれが運行中の一態様とみられるかぎり、それによつて発生した事故は運行によるものと解すべきところ、前記のとおり本件事故発生当時甲車右前車輪が破裂して高速道路の追越車線上に停車しており、右車輪を取替えなければ自己の原動機によつては移動不可能の状態にあつたことが認められるが、一方本件事故が発生したのは甲車が故障停止してから約三五分後で、〔証拠略〕によればその直後に一の宮インターサービスの修理車が本件事故現場に到着しており、甲車は破裂したタイヤを取替えれば、自己の原動機で直ちに移動可能な状態になることが認められるので、甲車は本件事故発生当時運行中の一態様である一時停車の状態にあつたと認めるのが相当である。従つて本件事故は甲車の「運行」中に発生したものというべきである。

そして前記のとおり本件事故は被告日本通運の従業員金沢及び玉置運転手が同被告会社の指示で顧客から託された貨物を小高町から名古屋に運送中発生したのであるから、同被告会社は自賠法三条の運行供用者として本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

2  被告吉田竹雄が乙車を所有しこれを本件事故当時運行の用に供していたことは争いがない。

よつて被告等は民法七一九条により各自連帯して本件事故により後記のとおり原告等が蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

三  損害

1  原告雅子

(一)  〔証拠略〕を総合すると、原告雅子は本件事故により両上肢打撲挫傷、右上腕骨骨折、右肘関節開放性脱臼、右尺骨開放性複雑骨折、左上腕骨骨折、左撓尺骨開放性骨折、右膝下腿打撲挫傷の重傷を負い、事故当日の昭和四五年八月二九日より同年一〇月三一日まで江口外科病院(名古屋市)、同日より昭和四六年八月一一日まで及び同年一一月一八日より同四七年三月二四日まで国立名古屋病院に入院し、その間昭和四六年八月二三日から同年一一月一七日まで静岡済生会病院に六七日間通院し、国立名古屋病院退院後昭和四七年四月一日から同年六月七日まで七日間大船共済病院に通院し、右入院中江口外科病院において右前頭部(約五センチ)、左右両腕各二個所、左口唇わき(約一・八センチ)の縫合、国立名古屋病院において左腕二個所の再手術(骨に釘を入れかえ固定し二ケ月余ギブスをはめた)、二度の骨移殖術(腰骨を切取つて腕の骨に移殖した)、左右両腕に挿入した釘の抜釘術、肘の授動術等数回にわたる手術をしたが、その間両腕骨髄炎を患い、昭和四七年四月一一日横浜市戸塚区公田町七〇九番地の下宿に帰つた後も前記手術等に帰因する血清肝炎により前記のとおり大船共済病院に通院したが、昭和四七年三月二四日国立名古屋病院の医師神谷守雄から両肘関節拘縮による運動障害があり、自賠法施行令第二条に基く一一級の後遺障害(但し両肘関節拘縮が各一二級六号の後遺障害に該当するため合併して一一級とされた)があると認定された。

原告雅子は昭和四七年一一月現在右眉に三・五センチ、左口唇わきに一・八センチの創傷痕が、左肘から手首にかけてケロイド状の大きな傷痕があり、昭和五〇年三月七日現在降雨の際或は陽気の変り目には頭痛がし肩がこると訴えていることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)  診療費 一、一四一、〇七三円

〔証拠略〕を総合すると原告雅子の前記傷病の診療費として江口外科病院五七〇、五八四円、国立名古屋病院五四八、六八二円、静岡済生会病院一六、一六七円、大船共済病院五、六四〇円が各支払われたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない(なお原告雅子と被告日本通運との間では右事実に争いがない)。

(三)  家政婦附添料 五二七、三六三円

〔証拠略〕を総合すると、原告雅子は入院期間内の昭和四五年八月二九日から同四六年六月一日まで家政婦の附添看護を必要とし、その料金として合計五二七、三六三円を支払つたことが認められ右認定を覆すに足る証拠はない(なお原告雅子と被告日本通運との間では右事実に争いがない)。

(四)  家族附添費等 七〇、二〇〇円

〔証拠略〕並びに前記(一)の事実を総合すると、原告雅子は前記(一)認定のとおり数回手術を受け、骨髄炎、血清肝炎等の余病を併発したので、その都度原告正広、同幸江及び伯母等の親戚が附添看護をした。特に昭和四六年一一月二四日から同月三〇日まで同四七年一月一三日から同月二四日まで及び同月二七日から翌二月五日までは手術等のため身動きができず、右家族等が延べ二九日間昼夜をとわず附添看護した、又右附添家族の食事、寝具代として昭和四六年二月二三日頃江口外科医院に三五、四〇〇円を支払つたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。右家族等の附添看護料は一日一、二〇〇円と認めるのが相当である。

(五)  入院中雑費 二三八、五〇〇円

前記(一)の事実に〔証拠略〕を総合すると、原告雅子はその入院期間通算四七七日間に一日少くとも五〇〇円の雑費を支出したものと認めるのが相当である。

(六)  通院交通費 一一、八二〇円

〔証拠略〕を総合すると原告雅子は静岡済生会病院通院のため少くとも一一、八二〇円を支出したことが認められる。

(七)  学校授業料の損失 九九、〇〇〇円

〔証拠略〕を総合すると原告雅子は本件事故当時京浜女子大学の児童学科三年に在学していたが、本件事故のため昭和四五年八月二九日から同四七年四月まで休学し、学則に基きその間支払つた授業料九九、〇〇〇円の損害を蒙つたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(八)  下宿荷物運送料 三六、〇〇〇円

〔証拠略〕を総合すると、原告雅子は前記女子大学通学のため横浜市戸塚区公田町七〇九番地の三池田淳正方に下宿していたが、本件事故のため休学のやむなきに到つたので、昭和四五年一〇月三〇日頃右下宿を一旦引き払うため一五、〇〇〇円の荷物運送料を支出し、その後復学し右下宿に戻るため同四七年四月一一日頃一二、〇〇〇円の荷物運送料を支出し、且つ、本件事故後入院等のため右下宿を直ちに引き払うことができず、昭和四五年一〇月三〇日同年九、一〇月分の下宿代九、〇〇〇円を右下宿先に支払つたことが認められ右認定を覆すに足る証拠はない。

右下宿荷物運送料、下宿代は本件事故と相当因果関係にある損害と認める。

(九)  逸失利益 二、三二九、〇三二円

前記(一)の事実に〔証拠略〕を総合すると原告雅子は小学校教諭になる目的で前記京浜女子大学児童学科で修学し、本件事故に遭遇しなければ昭和四七年三月には同大学を卒業し小学校教諭として勤務出来たはずのところ、本件事故による傷病のため卒業が二年遅れ、昭和四九年三月卒業したが両肘関節拘縮の後遺症のため静岡県小学校教員採用試験に不合格になり、同年四月からは身分の不安定な産休教員として勤務し、二ケ月近くも勤務先のない時もあつたが勤務した月は一ケ月約八万円の給料を得ていた。翌五〇年四月から静岡県蒲原西小学校に正教諭として採用され、本訴口頭弁論終結時の昭和五〇年六月二〇日現在同校に勤務していることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。(なお原告雅子が右小学校の正教諭に採用され勤務していることは同原告と被告吉田竹雄との間で争いがない)。

静岡県条例によれば新制大学卒の同県下の初任小学校正教諭の月額給与は、昭和四七年四月一日現在五四、三〇〇円(同条例三二号)、同四八年四月一日現在六三、四〇〇円(同条例四三号)、同四九年四月一日現在八五、八〇〇円(同条例五四号)であり、年間賞与は昭和四七、八年度が本給の四・八ケ月、四九年度が五・二ケ月であることは当裁判所に顕著な事実である。

以上認定事実を総合すると、原告雅子は卒業が二年遅れたことにより昭和四七年四月から同四九年三月までは次のとおり一、九二六、五五三円のうべかりし利益を喪失したものと認めるのが相当である。

47年度給与(54,300円×12)+年間賞与(54,300円×4.8)=912,240円

48年度給与(63,400円×12)+年間賞与(63,400円×4.8)×ホフマン係数0,9523=1,014,313円

912,240円+1,014,313円=1,926,553円………逸失利益

そして昭和四九年四月から同五〇年三月までは前記のとおり産休教員という不安定な身分のためその給与所得は正教諭の七割程度であつたと認めるのが相当であるから、同期間中原告雅子は少くとも次のとおり四〇二、四七九円のうべかりし利益を失つたものとするのが相当である。

給与(85,800円×12)+年間賞与(85,800円×5.2)×喪失率(1-0.7)=442,728円

442,728円×ホフマン係数0.90909=402,479円………逸失利益

なお原告雅子は昭和五〇年四月以降も前記後遺症のため労働能力が二〇%ないし一〇%低下し、相当額のうべかりし利益を失つた旨主張するが、前記のとおり同原告は昭和五〇年四月蒲原西小学校に正教諭として採用され現に勤務しており、前記後遺症のため同時に採用された他の同僚に位べて給与等で減額等の差別を受けていると認めるに足る証拠はなく、かえつて地方公務員法及び前掲県条例によれば正教諭として任用された以上後遺障害等を理由にその給与等に差別を受けているとは考えられないから、同月以降原告雅子にはその主張のような逸失利益の損害はないものとするのが相当である。もつとも小学校教諭としての職務を全とうするためには前記後遺障害が多大の支障となり、これを克服するためには常人以上の努力を払わねばならぬことは想像に難くないが、それは逸失利益の損害としてではなく慰藉料算定の際斟酌すれば足るものと考える。

(一〇)  慰藉料 二、〇〇〇、〇〇〇円

前記(一)の事実に〔証拠略〕を総合すると、原告雅子は幼時から小学校教諭になることを希望し、京浜女子大学児童学科に進学し卒業を翌年にひかえて本件事故のため前記のような重傷を負い、通算四七六日の入院、六ケ月の間に約七五日通院し、その間数回にわたつて骨移殖術等の手術を受け、手術後には両腕骨髄炎、血清肝炎等の併発に苦しめられ、学業のおくれと両肘関節拘縮後遺障害のため将来に対して極度の不安を持ち、右入通院治療中激しい精神的肉体的苦痛を受けた上、卒業後も一年間は右後遺障害のため産休教員という不利な就職をよぎなくされたことが認められ、右事実に前記のとおり原告雅子は昭和五〇年四月から小学校正教諭となり、給与面では差別されず、計算の逸失利益はないものゝ、前記後遺症より見てその職務を全とうし、地位を維持するためには並々ならぬ努力を払わねばならないことは明らかであり、又前記顔面、腕、手首の醜創傷痕及び後遺症が同原告の結婚に重大な支障となるであろうことが予想されること、並びに前記一認定の本件事故の態様等諸般の事情を総合するとその慰藉料は二五〇万円が相当である。しかしながら〔証拠略〕を総合すると、原告雅子は妹の原告淑子及び亡睦子他数名と共に当時開催中であつた大阪茨木市における万国博覧会見物のため、中学時代の同窓生である友人亡吉田運転の乙車に無償で好意同乗し、途中本件事故に遭つたことが認められるので、右慰藉料額の二割を減じた二〇〇万円をもつて原告雅子の慰藉料額と認めるのが相当である。

(一一)  損害の一部填補及び弁護士費用 三九〇、〇〇〇円

本件事故による損害につき自賠保険より原告雅子に対し二五〇万円が支払われたことは当事者間に争いがない。よつて同原告が被告等に対し請求しうる金額は前記(二)ないし(一〇)を合計した六、四五二、九八八円から右二五〇万円を控除した三、九五二、九八八円となるところ、〔証拠略〕を総合すると、原告雅子は被告等が示談に誠意を示さないので、他の原告等と共に本訴の提起を静岡県弁護士会所属弁護士である原告訴訟代理人に委任したことが認められる。そしてその弁護士費用は前記諸般の事情を総合すると、前記認容額の約一割三九万円の限度で本件事故と相当因果関係にある損害と認める。

2  原告淑子

(一)  〔証拠略〕を総合すると、原告淑子は、本件事故により脳挫傷、下顎骨骨折、歯牙脱臼、右手関節脱臼骨折、右手伸筋腱断裂、右肘関節拘縮の重傷を負い、事故当日の昭和四五年八月二九日より同年九月八日まで水谷外科(名古屋市)、同日より昭和四六年三月一五日まで国立名古屋病院に入院し、退院後同年三月一八日から同年六月二二日まで清水市立清水総合病院に通院し、その間同年三月一〇日から同年同月二〇日まで六日間平田歯科医院(由比町)に、昭和四七年三月一八日から同年六月二二日まで再び清水市立清水総合病院に各通院し、その間入院当初の一〇日間は生命もあやぶまれ、一九九日に及ぶ入院中は下顎骨手術、右手関節手術、右手関節固定術、外歯手術等を受け、その間長期間流動食しか摂取できなかつた。昭和四六年六月二二日清水市立清水総合病院の医師沖永明から右手関節強直による運動障害と下顎部に三センチの線状瘢痕があり、自賠法施行令第二条に基く七級の後遺症(但し右手関節強直が八級六号、下顎部線状瘢が一二級一四号の後遺障害に該当するため合併して七級とされた)があると認定された。

原告淑子は昭和四七年一一月現在右下顎部線状瘢の他に、首部にケロイド状の小さな傷痕二ケ所、右手首にケロイド状の大きな傷痕があり、前歯三本が義歯で、且つ右肘関節と中手骨指間関節に各軽度の屈曲障害があつて、昭和五〇年三月七日現在降雨の際或は陽気の変わり目には頭痛がし肩がこると訴えていることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(二)  診療費 七八四、二四九円

〔証拠略〕を総合すると、原告淑子の前記傷病の診療費として水谷外科に三三四、三五二円、国立名古屋病院に二七七、九八五円、平田歯科に一六八、〇〇〇円、清水市立清水総合病院に一六、六一二円が支払われたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

なお、原告淑子が七八四、二四九円の診療費を支出したことは被告日本通運との間で争いがない。

(三)  家政婦附添費 九三、二五二円

〔証拠略〕を総合すると、原告淑子は前記(一)の入院期間のうち、(イ)昭和四五年八月二九日より同年九月七日までの間家政婦二名(うち一名は同年八月三一日より)の附添看護を必要とし、その賃金として合計五一、七五二円を支払い、(ロ)同年一二月二三日から同四六年三月一五日までの間は原告雅子に附添つた家政婦に一日五〇〇円を加算して支払い原告淑子の附添も兼ねてもらい、その分として四一、五〇〇円を支払つたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

なお原告淑子が九三、二五二円の家政婦附添費を支出したことは被告日本通運との間で争いがない。

(四)  家族附添費 一〇四、四〇〇円

〔証拠略〕に前記(一)の事実を総合すると、原告淑子は受傷当初脳挫傷、下顎骨折等の傷病のため重篤な症状にあり、昭和四五年八月二九日から同年一二月二三日までの間の八七日家政婦の他常時家族の附添を必要とした。そこで同原告の父母、原告幸江、同正広及び伯母等が交代して附添つたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。その附添看護料は一日一、二〇〇円と認めるのが相当である。

(五)  入院中雑費 一〇〇、〇〇〇円

前記(一)の事実に〔証拠略〕を総合すると原告淑子は入院期間通算二〇〇日間に一日少くとも五〇〇円の諸雑費を必要としたことが認められ右認定を覆すに足る証拠はない。

(六)  逸失利益 五、四六一、一九〇円

〔証拠略〕を総合すると原告淑子は本件事故当時一六才で静岡県立清水西高等学校一年在学中であり、同校卒業後の昭和四八年四月より就職するはずのところ、本件事故により一年留年したため、卒業、就職が一年おくれることになつた。同原告は右高等学校を昭和四九年三月卒業後自立のため洋裁を習つているが、その就労可能年数である昭和四九年四月から少くとも四四年間は前記右手関節強直による運動障害のため、労働能力が当初の一五年間は四五%、その後二九年間は二〇%以上低下するものと認めるのが相当である。

そして統計上の女子労働者の年間給与額は、昭和四八年度賃金センサンスの企業規模及び産業計「年令階級別きまつて支給する現金給与額所定内給与額及び年間賞与その他特別給与額」(一八、九才)によれば六七六、二〇〇円であり、同賃金センサンスによれば企業規模、産業及び年令計の女子労働者の年間給与額は八四五、三〇〇円であることは明らかである。従つて原告淑子の逸失利益は次のとおり五、四六一、一九〇円となる。

(イ) 自昭和四八年四月至同四九年三月

年間収入676,200円×ライプニツツ係数0.9523=643,945円………逸失利益

(ロ) 自昭和四九年四月から四四年間

年間収入845,300円×労働能力喪失率ライプニツツ係数{45/100(10.3796-0.9523)}=3,585,965円

845,300円×労働能力喪失率ライプニツツ係数{20/100(17.6627-10.3796)}=1,231,280円

3,585,965円+1,231,280円=4,817,245円……逸失利益

(七) 慰藉料 二四〇万円

前記(一)の事実に〔証拠略〕を総合すると、原告淑子は本件事故当時一六才の少女であつたが、脳挫傷、下顎骨折の瀕死の重傷を負つて一〇日間余生死の境を彷徨し、以後二〇〇日の入院、六六日の通院の間、下顎骨折による食物摂取不能、下顎骨手術、右手関節固定術、外歯手術等数回にわたる手術を受け、その結果卒業も一年遅れ、極度の精神的肉体的苦痛を受けたことが認められる。又顔面、手首の醜傷痕及び右手関節用廃の後遺症が同原告の結婚に重大な支障となるであろうことが予想されること、並びに前記第一項の本件事故の態様等諸般の事情を総合するとその慰藉料は三〇〇万円が相当であるが、前記1(一〇)認定のとおり本件事故は乙車に無償で好意同乗中発生したものであるから、右慰藉料の二割を減じた二四〇万円をもつて原告淑子の慰藉料額とするのが相当である。

(八) 損害の一部填補及び弁護士費用

本件事故による損害につき自賠保険より原告淑子に対し五一八万円が支払われたことは当事者間に争いがない。よつて同原告が被告等に対し請求しうる金額は前記(二)ないし(七)を合計した八、九四三、〇九一円から右五一八万円を控除した三、七六三、〇九一円となるところ、〔証拠略〕を総合すると、原告淑子は被告等が示談に誠意を示さないので他の原告等と共に本訴の提起を静岡県弁護士会所属弁護士である原告等訴訟代理人に委任したことが認められる。そしてその弁護士費用は前記諸般の事情を総合すると、前記認容額の約一割三七万円の限度で本件事故と相当因果関係にある損害と認める。

3  亡睦子

(一)  逸失利益 五、八八六、〇三五円

亡睦子が本件事故により死亡したことは争いがない。〔証拠略〕を総合すると、亡睦子は本件事故により脳損傷の傷害を受け死亡した当時中学二年生であり、高校卒業後の昭和五〇年四月から就職することになつていたことが認められる。そして同女の就労可能年数は昭和五〇年四月から六三才に達するまでの四五年間とするのが相当であるところ、前記昭和四八年度の賃金センサンスによれば企業規模、産業及び年令計の女子労働者の年間給与額は八四五、三〇〇円であることは明らかであり、生活費として右給与額の半額を控除するのが相当である。

従つて亡睦子の逸失利益は次のとおり五、八八六、〇三五円となる。

845,300×50/100×ライプニツツ係数(18.2559-4.3294)=5,886,035

なお、亡睦子が死亡したのは昭和四五年八月二九日であるが、同原告は、本件事故による損害賠償請求権に対する遅延損害金を訴状送達の翌日である同四八年九月八日から求めており、且つ、その逸失利益は昭和五〇年四月から発生するので賃金センサンスは直近の統計である昭和四八年度のによつた。

(二)  慰藉料

前項認定事実並びに前記(一)の本件事故の態様を総合すると、その慰藉料は四〇〇万円が相当であるが、前記1(一〇)認定のとおり本件事故は乙車に無償で好意同乗中発生したものであるから、右慰藉料の二割を減じた三四〇万円をもつて亡睦子の慰藉料とするのが相当である。

(三)  損害の一部填補

従つて亡睦子が被告等に対して有する損害賠償債権は九、二八六、〇三五円であるところ、自賠保険より亡睦子に関して五、二四〇、五二〇円が支払われたことは争いがないから、これを控除すると四、〇四五、五一五円となる。

4  原告正広及び幸江

(一)  亡睦子の損害賠償債権の相続 二、〇二二、七五七円

亡睦子が同原告等の子であることは争いがなく、〔証拠略〕によれば亡睦子の相続人はその父母である原告正広及び幸江であることが認められるので同原告は亡睦子死亡と共に前項(三)の損害賠償債権四、〇四五、五一五円を各二分の一宛相続したものである。

(二)  遺体処置料、運搬費 各二三、七六〇円

〔証拠略〕を総合すると、原告正広及び幸江は亡睦子の遺体処置料、運搬費として四七、五二〇円を支出し、各二分の一宛負担したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(三)  葬儀費 各一二五、〇〇〇円

〔証拠略〕を総合すると原告正広及び幸江は亡睦子の葬儀費を支出したことが認められるが、その費用のうち二五万円を本件事故と相当因果関係に立つ損害と認める。

(四)  原告正広及び幸江の慰藉料 各四〇万円

〔証拠略〕に前記認定事実を総合すると、原告正広及び幸江は本件事故により末娘亡睦子を亡い、長女原告雅子及び次女原告淑子は重傷を負つて一年以上入通院し、そのあげく前記のとおり顔面、腕、手首等に醜傷痕をのこし、前者は両肘関節、後者は右手関節に後遺症があつて、両親としてその幸福は結婚生活に危倶の念を抱かざるを得ない事情にあること、並びに第一項の本件事故の態様、特に好意同乗中の事故であることなどを考慮すると本件事故による原告正広及び幸江の慰藉料は各四〇万円をもつて相当と考える。

(五)  よつて同原告等が被告等に対して請求しうる金額は前(一)ないし(四)を合計した二、五七一、五一七円となるところ、〔証拠略〕を総合すると、原告正広及び幸江は被告等が示談に誠意を示さないので、他の原告等と共に本訴の提起を静岡県弁護士会所属弁護士である原告等訴訟代理人に委任したことが認められる。そしてその弁護士費用は前記諸般の事情を総合すると、前記認容額の約一割二五万円の限度で本件事故と相当因果関係にある損害と認める。

三  結論

以上の次第で原告等の本訴請求は被告等に対し連帯して、原告雅子が四、三四二、九八八円及びうち三、九五二、九八八円に対する本訴状送達の翌日であること記録上明らかである昭和四八年九月八日から、原告淑子が四、一三三、〇九一円及びうち三、七六三、〇九一円に対する右昭和四八年九月八日から、原告正広及び幸江が各二、八二一、五一七円及びうち二、五七一、五一七円に対する右昭和四八年九月八日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当であるからこれを棄却することにし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条仮執行宣言及びその免脱宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 元吉麗子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例